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医療領域での歴史から見たアイトラッキング活用の可能性

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    Tobii Japan Research Group

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はじめに

瞳孔の位置を取得し、眼球運動や視線の向きを捉えるアイトラッキングは、今日様々な領域・用途で活用されている。大学実験室での心理学実験や、工場の製造ライン検査のスキル抽出、近年ではVRヘッドマウントディスプレイの一機能やゲーム用デバイスとして一般家庭まで活用の場を広げてきた。

活用の場を広げるアイトラッキング技術を古くから活用し、他領域での普及・応用に貢献したと考えられる領域として、「医療」が挙げられる。医療領域では古くから様々な用途でアイトラッキング技術を活用しており、ここでの活用事例の中に今後のアイトラッキング活用の道筋があるのではないか、と考える。例えば眼球運動を基に疾病の診断や病状のモニタリングを目指す研究は、「眼球運動に基づき人の状態を推定する」という点で今後普及が見込まれる自動車のドライバーモニタリングシステムと近しい発想であり、口や手足に障害を持つ方々のコミュニケーション用途としての利用はVR環境での新しいヒューマンマシンインターフェースとして今後活用される事が期待される。

本記事では、アイトラッキング技術活用の礎になったと考えられる医療領域での活用について、その歴史と事例を紹介する。事例については、医療におけるアイトラッキング活用を広範にレビューしたHarezlak & Kasprowski (2018)を参考に、診断・治療・教育の3つに分けて紹介する。

医療とアイトラッキングの長い歴史

最初に、アイトラッキングの歴史について簡単に紹介する。研究対象として眼球の動きが扱われた歴史は、遅くとも18世紀のWellsらの研究まで遡る事が出来るが(Wade et al., 2003)、具体的な研究の起源をめぐっては諸説ある。しかし、サッケードとフィグゼーションの区分など眼球運動に関する定性的な知見が体系化されはじめ、眼球運動を定量的に捉えるアプローチが実現したのは概ね1900年頃とされている。この時期にHuey(1898) やDelabarre(1898)、Dodge & Cline (1901)等いくつかの研究チームが眼球運動を定量的にとらえる方法を提案した。先に挙げた3つの報告の内、HueyやDelabarreによる方法は、いずれも眼球に直接器具を取り付ける必要のある侵襲的な方法であり、当時まだ合法であったコカイン点眼による麻酔を必要とするものであった。一方Dodgeらの方法は、角膜から反射する光を利用して視線の軌跡を追う方法であり、非侵襲的に視線を計測する事が出来た。Dodgeらが報告した時点では水平方向の眼球運動しか取得できない事など多くの課題があったが、角膜上の反射を用いて眼球運動を計測するというアイディアは、Tobii Proスペクトラムをはじめとする今日のアイトラッカーにも引き継がれている。こういった事から、現在に続くアイトラッキングの歴史は1900年前後に動き始めたと言えよう。

本記事で紹介する医療におけるアイトラッキング活用について、その先見的な研究は先のアイトラッキング方法提案当時からなされてきた。その代表的な研究として、先に述べた非侵襲的なアイトラッキング方法を報告したDodgeが1908年に行った統合失調症の研究(Diefendorf & Dodge, 1908)が挙げられる。統合失調症は、その特徴から調査対象者に複雑なタスクを課すことが出来ず、定量的なデータを蓄積して研究する事が難しい疾病であった。アイトラッキング技術は拘束などの制約はあるが、シンプルな調査タスクからデータを得る事を可能とする。こういった背景もあり、アイトラッキング技術はその歴史の初期より、疾病の診断や理解に向けた研究に活用され始めた。

診断に関する活用事例

アイトラッキングの用途として疾病の研究に用いる事の可能性は、先に述べた通り眼球運動の定量的な分析が可能となった当時から注目されてきた。ここでは疾病の研究の中で、診断が難しい疾病の診断根拠の確立を目指す研究や、迅速な治療・ケアに向けて簡易的なスクリーニングを目指すもの、症状自体の理解を深める事を目的とした研究を「診断」に関する研究として紹介する。

先に挙げたDiefendorf & Dodge (1908)が扱った統合失調症は、今日も研究が続けられている疾病である。今日に至るまでバイオマーカーが確立されておらず、症状の多様さや文化圏の違いによる影響等から、現在もなお診断が難しい疾病とされている。その一方で、蓄積された研究知見から様々な眼球運動の異常が知られており(Lipton et al., 1983)、アイトラッキングを活用した診断方法の開発が期待されてきた。特に近年の研究は、アイトラッキングデータを活用する事で、異なる文化圏でも共通して運用できる統合失調症のバイオマーカーが実現される可能性を示唆している(Lyu et al., 2023)。この研究は、中国国内の患者から得たアイトラッキングデータを基に機械学習モデルを構築し、イギリスの患者から得たテストデータによって検証を行った。対象とした患者は初回エピソードと慢性統合失調症両方を含んでおり、更にはデータセット内に精神病リスク症候群(Psychosis Risk Syndrome)の患者も含めていたが、正確率83%を達成した。今後トレーニングデータやテストデータを増やし、病期の違いや服薬内容の違いへの対応など、より多様な病態を含めた識別の実現が課題となるであろう。

同様に、他の疾患においても活用が期待されており、自閉スペクトラム症(Papagiannopoulou et al., 2014)や認知症や筋萎縮性側索硬化症、パーキンソン病、てんかんなどの認知機能に障害をもたらす疾患(Liu et al., 2021やTao et al., 2020)を中心に研究が進められている。

治療に関する事例

診断に向けた研究用途だけでなく、アイトラッキングは病に苦しむ患者の方々をサポートする目的でも活用が期待されている。ここでは疾病に関する研究の内、病を抱える患者のケアやサポートに関わる事例を「治療」とまとめ、紹介する。

この領域での代表的な事例として、手足や口が自由に動かせない方に向けたコミュニケーション用途での活用がある。アイトラッキングによって得られた視線の情報を、コンピューターのインターフェースとして活用する技術は「Eye-control」や「Eye-typing」と呼ばれる。目で入力する事は難しく時間がかかるように思われるが、練習する事で1分辺り20単語以上(一般的な手でのキーボード入力は30~40単語程度)入力できると報告されている(Räihä, 2015)。この技術は既に医療福祉の現場で広く活用されており、トビーにおいても2005年より製品を提供してきた(2021年より本事業はTobii Dynavoxとして分離独立)。

コミュニケーション手段としての用途以外では、病状のモニタリングやリハビリ・トレーニングへの活用可能性が期待されている。モニタリングの領域では、C型ニーマン・ピック(Niemann-Pick)病やパーキンソン病など、比較的発症率は低いが重症度や病状の進行度合いと眼球運動の異常に関係のある疾病への活用が期待されている (Clark et al., 2019)。発症率の低い疾病においては、居住地域で十分な経過観察が難しい場合が想定され、アイトラッキングをはじめとするセンサー技術による病状のモニタリング手法開発が期待される。

一方リハビリ・トレーニングの領域では、認知や感情変化を改善する目的で行われるリハビリにおいて、活用が期待されている。具体的には早産児や自閉スペクトラム症、神経発達症や不安障害等の精神疾患、脳卒中などの神経疾患である(Carelli et al., 2022)。ここでは具体的なトレーニング内容について、自閉スペクトラム症のトレーニング事例(Wang et al., 2020)について、簡単に紹介する。このトレーニングの目的は、自閉スペクトラム症児の社会的刺激(人の顔等)に対する注意力低下をケアする事であり、定型発達児と同じように動画を見るようトレーニングする。具体的には人物の映る映像を見せている間アイトラッキングを行い、今見ている場所よりも定型発達児の視線パターンに近い所を見るよう手がかりを表示し、視線を誘導する。このトレーニングを受ける事で自閉スペクトラム症児の社会的刺激に対する注意力低下の緩和が示唆されたと報告されており、特に非言語能力が低い子供において、より大きな効果が観察された。

教育に関する事例

現在、アイトラッキング技術は様々な業種・職種の教育や技能評価に活用されている。その中でも「目視検査(“Visual Inspection”)」での活用の歴史は古く半世紀以上に渡る(Schoonard et al., 1973)。医療分野での「目視検査」としては製薬会社等で行われる製品不良を検出する検査や、レントゲン検査をはじめとする画像診断が挙げられるが、特に画像診断に関する課題・今日に至る歴史は、他の業界に先駆けた物であったと考えられる。

レントゲン検査をはじめとする画像診断は、19世紀末から20世紀前半に確立・普及しはじめた比較的新しい技術であり同時に診断の決め手となる重要な診断方法であった。しかし、検査者間で診断・解釈内容が一致しない事や、同じ検査者であっても再度検査すると解釈が変わる事等の問題も指摘され、診断プロセスや教育方法の確立が求められていた(Garland, 1949)。こういった背景から、1960年代以降実際の放射線科医を中心として画像診断に関するアイトラッキング研究が数多くなされており、基礎データを蓄積してきた。

当時のアイトラッカーは今日の物と比べ制約の大きい物であったが、専門知識の有無によって視線のパターンが変わるため、見方だけでなく知識を広める事に意義がある事(Kundel & La Follette ,1972)等、今日では広く知られ応用される知見をいち早くデータに基づき示すものであった。

こういった取り組みは教育にフィードバックされると共に、用いる医療機器の進展にあわせて現在も研究が続けられている(レビューとしてWu & Wolfe, 2019)。例えば、Drew et al. (2013)の研究は、CT画像を対象として積層された画像の見方に2つのパターンがあり、検査者が採用するパターンによってミスが発生する可能性が変わることを示唆した。具体的には、ドリルで穴を掘るように、小さな領域に絞って深度を変えながら見て行くドリラースタイルの方が、1枚1枚画像の全域を確認してから深度を変えていくスキャナースタイルよりもミスが少ない事を報告した(ドリラースタイルとスキャナースタイルについては、当該論文Supplementary Materialsの動画を参照されたい)。

医療画像診断以外の技能においても、アイトラッカーの小型化・ウェアラブル型の普及と共に活用の幅が広がっており、外科医の手術スキル評価(Tien et al., 2014)や看護師のシミュレーション教育時の評価(Shinnick, 2016)にアイトラッキングを活用する研究がなされている。

おわりに

本記事では医療領域におけるアイトラッキング活用事例をその歴史と共に紹介した。医療領域でのアイトラッキング活用に関する知見の蓄積は、医療の発展のみならず他の領域でのアイトラッキング活用に向けての示唆にも富むものである。教育の文脈で編み出された分析方法は、構造化し分類する事で全く異なる業種の業務改善に応用できる可能性がある。バイオマーカーの確立を目指す診断研究の手法は、今後あらゆる場面で活用が期待されるヒューマンセンシング技術を開発する上で一つの指針となるであろう。

アイトラッキング技術は一世紀に及ぶ進展により、強い麻酔等の侵襲性や頭部の厳重な固定といった制約を解消し、より手軽に計測できる技術となった。こういった進展に対して医療での活用も幅を広げており、弱視に関する家庭での治療ツール検証 (Wygnanski-Jaffe et.al., 2023)が進められている事など、家庭内での活用が期待されている。

医療従事者・研究者はもちろんの事、アイトラッキングに興味を持つ多くの方にとって、医療領域での活用事例は示唆に富むものであろう。

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