アイトラッキングは、どこを見ているかを可視化、数値化でき、さらに録画した動画を教材としても使えて良かったです。今後も、救急医療現場における看護師の教育やスキル向上に役立てていければと考えています。日本体育大学大学院 保健医療学研究科 保健医療学専攻 救急災害医療学コース(当時) 白石 陸 様
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事例
熟練看護師の判断力を「可視化」
日本体育大学大学院 保健医療学研究科
日本体育大学が救急医療現場における熟練看護師の知識・技能を教育に活かすため、
アイトラッキングを活用
はじめに
救命率や機能予後の改善に大きく関わる「病院前救急医療」。その質を高めるには、経験豊富な看護師の技能や判断力を明確化し、教育に活かす仕組みが必要です。
救急の現場では、医師・看護師がドクターカーで現場に駆け付け、限られた情報と時間の中で迅速かつ的確な判断が求められます。中でも「グランドナース」と呼ばれる看護師には、幅広い知識、優れた状況把握力、冷静な判断力など高度なスキルが要求されます。しかし、こうしたスキルは経験によって培われるもので、教育段階で伝えるのは容易ではなく、経験症例不足による診療の質の低下が課題となっていました。
これまでもアイトラッキングを活用した先行研究により、熟練看護師ならではの特有の作業の明確化は進められてきましたが、病院前救急医療の文脈でそれを教育に活用するアプローチは十分に示されていませんでした。
こうした背景のもと、日本体育大学大学院 保健医療学研究科 保健医療学専攻 救急災害医療学コースの白石 陸氏は、「救急車内における静脈路確保時の看護師の視線行動」を通じて、グランドナースの経験年数に基づく差異に関する研究を実施しました。
本研究におけるアイトラッキングの価値
本研究では、Tobiiのウェアラブル型アイトラッカー「Tobii Proグラス3」を使用。救急車内という限られた空間でも自然な行動を妨げることなく、視線データを取得できました。これにより、従来の教材では伝えきれなかった熟練看護師の暗黙知が「可視化」されました。
研究内容
対象と方法
対象は、日本医科大学多摩永山病院 救命救急センターに勤務する看護師10名(経験年数4~17年)。看護師は、日本看護協会のクリニカルラダーを基に「新人」「一人前」「中堅」「達人」の4段階に分類されました。
患者の顔、輸液バッグ、上腕、点滴器具、モニター、家族、救命士など、計10か所を「関心領域(AOI)」として設定。視線の頻度、回数、滞在時間、分布といった評価指標をもとに分析しました。加えて、患者家族への説明の有無など、実践面も評価されました。
主な結果と考察
・視線の集中と認識力
達人看護師は、モニターや患者の顔など重要エリアに視線を集中し、状況を的確に把握。一方、新人は視線の移動が多く、観察範囲も狭い傾向が見られました。これにより、経験による状況認識力の差が視線パターンに表れていることが示唆されます。
・資機材の展開方法の違い
達人看護師はストレッチャーや椅子を活用して効率的に資機材を配置していたのに対し、新人は床に展開し、管理や処置に課題が見られました。
・視線とコミュニケーション
達人看護師は視線を素早く固定させ、家族に向けられる視線も適切で短時間で必要な情報を得て的確に説明していました。一方、新人は視線移動が多いにも関わらず、説明が「点滴を取ります」といった簡素なものにとどまるケースが多く、経験がコミュニケーションにも影響を与えていると考えられます。
・救急現場特有の環境における教育的価値
達人看護師は、救急車内特有の環境においても、視線を的確に配分し迅速な判断を下しながら、適切に行動している様子が確認されました。新人看護師は環境要因への対応に課題があり、視線が煩雑になり重要領域への注視が不足する傾向にありました。この結果、救急車内での判断力や対応力の向上が看護師教育において重要な目標であることを示しています。
導入の効果と今後の展開
今回の調査研究を通じて、熟練看護師と初心者との視線行動の差異が明確に示されました。特に、熟練者は限られた時間の中で見るべきポイントを的確に捉えており、その視線の動きには経験に裏打ちされた判断や直感的な行動が表れていることが確認されました。これらは従来、言語化が難しい「暗黙知」として扱われてきましたが、アイトラッキングのデータによって可視化され、客観的な説明が可能となった点は大きな成果です。さらに、模擬訓練において視線の動きをフィードバックすることで、学習者自身の気づきを促し、学習効果を高めることも可能です。教育者の立場として、白石氏自身もこうした技術の教育トレーニングへの応用に大きな期待を寄せています。
今後は、調査対象となる病院やグランドナースのサンプル数を増やすことで、得られた知見の外的妥当性を高め、さらなる分析を通じて教育プログラムの構築を検討されています。
執筆者
Tobii
読了時間
5分